2. 世界の水へ広がる視点

本格的に水を学ぶ

ファルケンマーク教授が水力発電所の仕事をやりとげるのを見た研究所の上司は、教授に、もっと水について専門的に勉強するようすすめました。ここから、教授は本格的に水の専門家になっていきます。
教授は1954年から1964年にかけて研究所で働きながら大学に通い、ついにスウェーデンで第一号の水文学の博士になりました。

実は、当時の教授は研究者としての仕事と大学院での勉強に加え、3人の子どもたちの出産・育児も両立していました。幸い、研究所は当時から子育てに理解があり、どの子の時にも産休・育休をとることができましたし、育休が終わってからは、教授が仕事をしている間、自身も2人の子どもたちを持つとなりおくさんが教授の子どもたちのめんどうも見てくれました。それにご主人も協力的で、親としての仕事を共に担ってくれました。それでも、あまりの大変さに教授は2回もたおれたそうです。

ご主人(左)と教授(真ん中)

ご主人(左)と教授(真ん中)

ユネスコ国際水文学10年計画

ファルケンマーク教授の人生を大きく変えることになる2度目のぐうぜんが訪れたのは、教授が3人目の育休からスウェーデン気象・水文研究所にもどった1965年のことでした。
当時、水に関する科学・教育を発展させるための国際プロジェクト「ユネスコ国際水文学10年計画(IHD)」が立ち上がろうとしていました。ファルケンマーク教授は研究所のようせいにより、このプロジェクトのスウェーデン国内委員会である「スウェーデン自然科学研究評議会(SNRC)」にせきし、委員会の幹事としてプロジェクトを支えることになったのです。教授にとっては予期せぬ幸運でした。これをきっかけに、スウェーデン国内にとどまらず、国際的な仕事にたずさわれるようになったのです。

教授が最初にたずさわったのは、スカンディナビア半島とヨーロッパ大陸に囲まれたバルト海の水収支の調査でした。プロジェクトの参加国がそれぞれバルト海の降水量、蒸発量、貯水量について調査し、教授はそれをまとめて報告書に仕上げる役目を受け持ちました。この仕事は、教授の水に対する視点を大きく広げてくれました。
このユネスコ国際水文学10年計画は1974年に「国際水文学プログラム(IHP)」に引きがれ、今でも続いています。教授はユネスコ国際水文学10年計画と国際水文学プログラムの両方に、述べ30年にもわたって携わることになります。

国際水文学10年計画の会合

国際水文学10年計画の会合
(1968年 手前のサングラスの女性が教授)

このころ、ファルケンマーク教授は『世界の水資源とその未来(World water resources and their future)』という本に出会いました。
この本は、モスクワ大学のルボビッチ授という人が世界の水資源について書いたものです。異なる大陸ごとにデータを集め、利用可能な水や水を取り巻くかんきょうが地域ごとに異なることを示した革新的な本でした。

『世界の水資源とその未来』表紙

『世界の水資源とその未来』表紙

本のテーマである、地球の生命装置としての水という考え方に、ファルケンマーク教授は深くかんめいを受けました。以後、ファルケンマーク教授はルボビッチ教授を学術面の師とあおぎ、その考え方を受けいで発展させていきました。

3. 水不足が一目でわかる「ファルケンマーク指標」