1. 未知なる自然への興味

アフリカの自然とともに過ごした少年時代

ウォーカー教授は1940年にアフリカのローデシア共和国の首都、ソールズベリー(現ジンバブエのハラレ)で生まれ、製造業を営むお父さんと専業主婦の優しいお母さんとお姉さんの4人家族の中で育ちました。「自分が信じる道、じることのない道を選びなさい。それは正しいことなのか、そうではないのかを何時も自分に問いかけなさい」というのがつねごろからのお父さんの教えで、「他人の良いところを探しなさい。常に良いところを見なさい」というのがお母さんの教えでした。

学校での授業はラグビー、水泳、水球などスポーツが大好きで、勉強は英語と科学が好きでした。特に科学では、自然界で起こる理解をえたなぞりょうされました。
ソールズベリーは自然が豊かなところだったので、教授は友達といっしょに周囲のサバンナや森でキャンプをしたり、動物をついせきして観察したりして楽しみました。農家の人に夜のひょうりに連れて行ってもらったこともあります。

8歳ごろの教授(前列一番右)、後列左が両親

8さいごろの教授(前列一番右)、後列左が両親

こうして楽しい少年時代を過ごす中で、教授はアフリカの自然やサバンナの植生などについて、もっと理解したい、知りたいと思うようになっていきました。

生態学者への道

大学に入る前、ウォーカー教授は農業に興味を持ち、地元のヤング・ファーマーズ・クラブという団体に入ってぶたや牛の世話をしたり、地元の農家を手伝ったりして農家のことを学びました。

ヤング・ファーマーズ・クラブの仲間と。

ヤング・ファーマーズ・クラブの仲間と。牛のづなを持っているのが教授(1955年)

そして南アフリカのナタール大学に入って農学を学び、1961年に卒業すると、ふるさとのローデシアにもどって農地開発の仕事に就きました。農地の生産性を高めて農家のしゅうかくを増やし、生活をよくするためにえんする仕事です。

野外農業実習(1962年)

野外農業実習(1962年)

しかし、教授はこの仕事をしているうちに、周囲の自然界の生態系について次々と疑問がくようになりました。「なぜ、ある場所にいる動物が他の場所にはいないんだろう?」「植物はなぜこのように生えているんだろう、動物とはどうえいきょうし合っているんだろう?」興味がきない教授はついに、また大学に行くことに決めました。今度は生態学を勉強して生態学者になることにしたのです。

カナダにわたり、サスカチュワン大学で生態学を4年間学んで博士号を取得した教授は、1969年に再びローデシアにもどり、ローデシア大学の生態学部で講師として働きはじめました。
ここで教授は、サバンナや野生動物の生態に関する研究プロジェクトをかんとくしていました。学生たちを国内各地の国立公園や野生動物保護区、けいこくや山々などにけんし、教授はときどきかれらを訪問するのです。当時は道路が整備されていなかったので、教授は自家用飛行機のめんきょを取り、自分で操縦して学生たちを訪ねることにしたのですが、これが思わぬ功を奏しました。
飛行機に乗り、上空1000フィート(約305メートル)の高さから見る自然は、地上から見るのとは全くちがっていました。あのあたりにあったものがこのあたりからは急になくなっている、形が変わっている……というように、生態系の様子を大きなスケールで見ることができたのです。この貴重な体験は、教授の視野を大いに広げてくれました。

ローデシアから南アフリカ、そしてオーストラリアへ

生態学者としてじゅうじつした日々を送っていたウォーカー教授ですが、1960年代から70年代のローデシアは、教授の青年時代とは大きく変わっていました。
イギリスの植民地だった南ローデシアでは黒人が独立を求めて白人政権と対立し、ついに内戦が始まってしまったのです。教授や家族は白人だったのでとても難しい立場におかれ、学生といっしょに行っていた研究場所にも危険すぎて行くことができなくなってしまいました。
そうした中で、教授は1975年に南アフリカのウィットウォーターズランド大学から植物学部の教授としてさそわれました。それをきっかけにローデシアをはなれた教授は、その後10年にわたって南アフリカでサバンナの生態系保護プログラムを指揮しました。サバンナのある国々が参加する国際会議を主導するなど、国際的なプロジェクトに関わるようになったのもこのころです。

しかし、教授は南アフリカでも黒人と白人との人種差別問題にほんろうされることになります。アパルトヘイトの問題です。教授は2人の子どもにこうしたじょうきょう下で育ってほしくはありませんでした。
すると1985年、オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の、野生生物と生態学をあつかう部署が、教授に来てほしいと言ってきたのです。こうして教授は今も住むオーストラリアのキャンベラに移りました。

CSIROの科学者たちの土壌調査。土を掘っているのが教授

CSIROの科学者たちのじょう調査。
土をっているのが教授(1991年)

「現在に至るまでこの地で最高の仕事をさせてもらいました。」と教授は言っています。教授はここで世界的な取り組み「地球圏・せいぶつけん国際共同研究計画」のコアプロジェクトである「地球変化と陸域生態系研究」を主導しました。そして教授の研究も大きくやくしていくことになります。

2. 生態系のレジリエンス