4. 世界中の約束

地球温暖化対策を根本から変える

先にも書きましたが、シェルンフーバー教授が地球温暖化の研究を始めたのは人々がそれについてようやく知り始めたころで、わかっていたのは「地球は温暖化していて、主な原因はどうやら人間のはいしゅつする二酸化炭素らしい」ことくらいでした。それによってどんな危険がせまっているのかまではよくわかっていませんでした。
教授は、地球温暖化対策の議論の流れを一転させなければならないと思いました。だから、「人類が何としてもけなければならないのは大ひょうしょうゆうかいです。もしこれが起きたら、海面が最終的には70mもじょうしょうし、地球上のほとんどの沿岸地域が失われます。それだけは避けなければなりません。」というように、研究でわかったことを積極的に発信していくことにしました。

PIKでの会議

PIKでの会議

また、気温じょうしょうおさえるためには、二酸化炭素のはいしゅつ量を減らさなくてはなりません。でもどれくらい?どうやって?
教授が推し進めているのが、「カーボン・バジェット」という考え方です。これは「今後、排出可能な二酸化炭素の量はどれくらいか。」をはっきりさせ、それ以上は二酸化炭素を出さないようにするというものです。2℃という基準が決まれば、この量を具体的に計算することもできるようになるわけです。このカーボン・バジェットも、今では地球温暖化対策において基本となる考え方になっています。

世界の要人たちとのれんけい

議論の流れを変えるにあたり不可欠だったのが、世界的にえいきょう力のある人たちとの連携です。
例えば「2℃」という数字が初めて国際会議の場で議論されたのは、PIKの設立からまだ間もない1995年、ドイツのベルリンでかいさいされた初めての気候変動わくぐみ条約ていやく国会議(COP1)です。シェルンフーバー教授はこの時、議長であるドイツのかんきょう大臣とともに、同席していました。
教授はかねてよりこの環境大臣に「2℃」について話していました。この大臣は元々、教授と同じ物理学者だった女性で、教授の話を実によく理解してくれたのです。
この人が、後にドイツの首相となり、地球温暖化対策において国際的に重要なはたり役ともなるアンゲラ・メルケルでした。教授はその時から現在まで20年以上、メルケル首相の科学アドバイザーとして厚いしんらいを得ています。

アンゲラ・メルケル首相と

アンゲラ・メルケル首相と

また2015年、ローマ教皇フランシスコにより、歴史上初めてのかんきょう問題に関するかいちょく(教皇からの公式文書)「ラウダート・シ」が発表されました。この中では地球温暖化の問題についてもれられているのですが、実はこの回勅の作成にもシェルンフーバー教授は科学者として大きくこうけんしています。折しもパリ協定が成立するCOP21の直前、カトリックの最高けんからのメッセージは大変力強くひびきました。
教授は、こうしたえいきょう力の強い人たちに自分の考え方をいてもらえたことは、本当に幸運だったと思っています。

パリ協定の成立 そして…

このように教授らの研究、そして世界への働きかけは、20年以上かかりながらも地球温暖化対策への意識を確実に変えていきました。そしてついに2015年、COP21にてパリ協定が成立し、世界中の国々が2℃目標を目指すことを約束したのです。

さて、これで終わったわけではありません。むしろようやくスタートラインに立ったところなのです。
ぜん、二酸化炭素のはいしゅつ量は増加けいこうにあります。目標は2℃までなのに、現在(2017年)、もうすでに平均気温は産業革命前と比べて1℃じょうしょうしてしまっています。20年の間に、ずいぶん事態は悪化してしまいました。このままのペースで二酸化炭素を排出し続ければ、さらに気温は上昇し続けるでしょう。
計算では、2020年までに二酸化炭素の排出量を減少に転じさせ、21世紀後半には排出をゼロにしなければ、2℃目標は達成できないと予想されています。残された時間はあとわずかしかありません。

私たちはどうすればいいのでしょう。現在、残されている「はいしゅつ可能な二酸化炭素の量」はおよそ6000億トン。教授は残された6000億トンの二酸化炭素をけんめいに使わなければならないといいます。このはん内で納めるためには、今の化石燃料たよりの社会構造を根本的に変える必要があります。
「最終的には個々人の決断」と教授はいいます。あらゆる場面で二酸化炭素を出さないライフスタイルを送るよう、努力するのです。例えば買い物の時に、だれもが二酸化炭素の排出をおさえて作られた商品を選ぶようになれば、ぎょうも変わらざるをえません。また、地球温暖化対策に積極的な指導者を支持することなども大きな意味を持ちます(選挙の時にはぜひそういったことも考えてみてほしい、と教授は言っていました)。一人ひとりの決断が世界的な社会活動につながっていくことが、教授の究極的な夢です。

科学者の使命

ここまでごしょうかいしてきたとおり、教授はこれまで科学者として研究しているだけではなく、わかったことを人々に発信することをとても大事にしてきました。そのためにえいきょう力の強い人たちともれんけいし、政治の場にかいにゅうすることもありました。こういったことをよく思わない人たちもいます。

でも、これが教授の信念です。第二次世界大戦のころ、科学者たちは「自分たちは研究はするけれど、その結果に対しては社会的責任を持たない」という姿勢をとっていました。たとえ、自らの研究によって大量かい兵器が生まれたとしても……。
そのような姿勢は正しいどころかむしろ罪だ、と教授は考えています。研究によって明らかになったことについてだれよりもよく知っている科学者が、その社会的影響について責任がないはずがない。第二次世界大戦後のアインシュタインのように必要なら政治的な発言も辞さず、知りえたことを社会にきちんと説明することこそが科学者の使命だと、教授は確信しています。

著書

著書

教授とて落ちむこともありますが、まだ幼い9さいの息子さんがいつも教授を元気づけてくれます。そして将来の人々のために何とかしなければならないという気持ちを一層奮い立たせてくれます。
教授は、多くの機会をきょうじゅしてきた自分たちの世代には、せめて同じだけの機会を次の世代に残す責任があると思っています。よりよくするということではなく、ただ悪化させないだけだ、と。それだけのことが、今、本当に難しいのです。しかし、少しでもその可能性があるならそれにかけるしかない。そう教授は確信しています。

9歳の息子さんとともに

9歳の息子さんとともに