1. 経済学者への道

幼少時代はインドとアメリカで生活

パーサ・ダスグプタ教授の研究は、子供のころに多様な文化にふれて育ったこと、また経済学者だったお父さんの教えと深く関係しています。そこで、ダスグプタ教授の生い立ちと幼少時代の生活についてふれておきます。

ダスグプタ教授の生い立ちと幼少時代

ダスグプタ教授は1942年、バングラデシュのダッカで生まれ、インドのバラナシに移り住み、そこで幼少時代を過ごしました。
バラナシはインドで栄えているヒンドゥー教という宗教の聖地で大きな街ですが、貧しい人たちがあふれていました。小さいパーサは、たくさんの物ごいや、体の不自由な人などを見かけました。お父さんは有名な経済学者で、どうしたらそういう人々を貧困から救えるか、いつも考えていたそうです。また、お母さんも、貧しい人からパーサを遠ざけたりしませんでした。パーサは、貧しい家の子どもたちとも友達になり、とても幸せな幼少時代を過ごしました。

8才のとき、お父さんの仕事の関係でアメリカのワシントンD.C.にすことになりました。ワシントンはインドのバラナシとまったくちがい、豊かで洗練された都会でした。当時、バラナシではほとんど車を見ることもなかったのに、ワシントンでは数えきれないほど車が走っているのです。
パーサは学校に通い、英語を覚えました。友達もたくさんできました。バラナシの友達も、アメリカでできた友達も、人種や、豊かさはちがいますが、自分にとっては同じ友達と思えました。

家族と、ワシントンにて(1953)

家族と、ワシントンにて(1953)

11さいのとき、再びインドに帰りました。パーサには5歳年上のお姉さんがいます。お姉さんはよく本を読んでいました。尊敬するお姉さんにえいきょうされ、パーサも、たくさんの本を読むようになりました。
「もっといろんなことが知りたい。」

パーサはどんどん勉強するようになりました。お父さんはとても大切なことを教えてくれました。
「先入観でものごとを見てはいけない。必ず実際のデータ、しょうを見て、論理的に考えること。」

お父さんの教えは、今もパーサの研究に、しっかりと受けつがれています。

物理学と数学を学び、そして経済学者に

大きくなったパーサは、最初からお父さんと同じ経済学を勉強しようと思っていたわけではありません。
インドのデリー大学に行き、最初は物理学を勉強しました。当時、学校の成績のよい子は物理学を学ぶことが多かったので、パーサも自然とそうしたのです。
デリー大学を卒業すると、もっと物理学を勉強するためにイギリスにわたりました。名門のケンブリッジ大学で、今度は物理学のとなる数学を勉強しはじめました。その後で、さらに物理学を極めるつもりだったのです。しかし、パーサはちゅうで進路をへんこうし、経済学に進むことになります。

「もっと、社会のためになることも勉強したい。」

そのころ(1960年代)は、アメリカを中心とした資本主義国と、ソビエトれんぽうを中心とした共産主義国がしょうとつしている冷戦の時代でした。そのえいきょうもあり、ベトナムで戦争が始まろうとしていました。なぜ、そんなことになってしまうのか…パーサは、「こういうやりかたはまちがっている」といった明確な主張をもつ経済学者たちといっしょに過ごすことが多くなり、影響を受けました。そして、人の豊かさや幸せを考える学問である経済学を勉強すれば、そういうことがわかるのではないかと思うようになったのです。

このころ奥さんのキャロルさんと結婚しました

このころおくさんのキャロルさんとけっこんしました

1971年

インドネシアにて(1971)

数学の学位をとったあと、パーサはケンブリッジ大学で、経済学の研究者を志すようになりました。すばらしい先生にもめぐまれ、経済学の博士号を取得すると、1971年にはイギリスで経済学者としての職を得て、パーサは好きな研究を思う存分できるようになりました。研究の成果が認められて、やがてダスグプタ教授になりました。

もともと、物理学と数学を勉強したうえで経済学者になったダスグプタ教授なので、その興味はとてもはばひろいものです。あらゆる学問(数えると、20にもなるそうです!)にくわしく、分野のかべをこえて、他の人たちをリードするような研究をたくさん行ってきました。

その全てをしょうかいすることはとてもできませんが、ここからは少しだけ、ダスグプタ教授の研究をのぞいてみることにしましょう。 

2. 人間と自然の関わり