3. 自然があたえてくれるもの

経済学と生態学

ここでちょっと、デイリー教授の大学時代にもどります。
教授は生物学、特に生態学を勉強して生態系を理解し、自然保護に役立てたいと思っていましたが、大学を卒業するくらいから、自然保護には「経済」も大切なのではないかと考え始めていました。人間の善意だけにうったえて自然保護活動をするには限度があります。でももし、自然を保護しないことで大損するとしたら、あるいは自然を保護することがむしろビジネスチャンスにさえなるのだとしたら、多くの人が耳をかたむけてくれるのではないか。
生態学と経済学は全くちがう分野ですし、しばしば反発しあう分野でさえありました。自然保護と経済発展は相反することだという考え方が今でも残っていますが、1990年代当時はもっと根強かったのです。しかし教授は、その経済学に歩み寄ろうとしました。そして幸いなことに、経済学者の中にも生態学に歩み寄りたいと思っていた人がいたのです。

かのじょが大学院生だったある日、一年間のたいざい予定でスタンフォード大学にやってきたのが、有名な経済学者のパーサ・ダスグプタ教授でした。ダスグプタ教授は、「豊かさ」というものを考える時に、それまでの経済学では無視されがちだった「自然」がとても大切だと考え、自然をふくめた国の豊かさをはかれるような新しい指標を作り出そうとしていました。この人に引き合わせてくれたのは、恩師のエーリック教授です。そのダスグプタ教授はさらに、20世紀最大の経済学者の1人でかんきょう分野にもこうけんしたケネス・アロー教授をしょうかいしてくれました。
かれらと親しく話すことで、デイリー教授は「生態学と経済学は、きっと手をたずさえていける。」と確信したのです。

1990年代半ば。当時、アメリカでは環境保護が下火になりつつありました。「ゆうさえあれば環境保護もいいかもしれない。でもそんなことは一文の得にもならないじゃないか。」
デイリー教授は、これはゆゆしきことだと思いました。こういう考えの人たちにも、なぜ自然を守らなければならないかを納得してもらうため、自分たち生物学者がきちんと説明しなければ!

デイリー教授は1997年に「自然のサービス」という論文集を出しました。自然がもたらしてくれるおんけいにはどのようなものがあるか、そして私たち人間が経済的にいかにそれにいぞんしているか、ということを科学的に示し、それを国の政策決定者たちにも理解してもらうことが目的でした。

「自然のサービス」の表紙

「自然のサービス」の表紙

ニューヨーク市の水源

そのころ、アメリカのニューヨーク市であることが起きました。
きょだい都市、ニューヨーク市はその水源を、きんこうのキャッツキル地方のデラウェア川流域にたよっていました。この流域は自然にめぐまれた美しい景勝地です。ところが開発のえいきょうによって水質が悪化してしまい、ニューヨーク市は市民の健康を守るため、新たにろ過せつを作らなければならなくなりました。
しかしそれには60〜80億ドルの建設費に加え、毎年3〜5億ドルの費がかかります。ニューヨーク市民からの水道税を2倍以上にしなければ追い付きません。
そこでニューヨーク市は考えたのです。「もともとはろ過施設などなくても、自然のじょう作用がニューヨーク市にれいな水をもたらしてくれていた。なのに人間が自然を損なったせいで、その浄化作用が弱まってしまったのだ。なら私たちがお金を使うべきはろ過施設ではなく、自然を元にもどすことなのではないか。」

そこで、ニューヨーク市は、デラウェア川流域で農林業を営む人たちに、流域の自然を守ってほしいとたのんで回りました。例えば、農地から川にすいが流れまないようなをとってほしい、というように。もちろん土地の人たちにも生活がありますから、その人たちには、自然かんきょうの保全に対する対価をはらうことにしたのです。
結果として、これは成功を収めました。水質は改善に向かい、かかった対価は10〜15億ドル。これはろ過せつを作るよりはるかに安上がりでした。ニューヨーク市民の水道税は9%上がりましたが、これも当初の予想よりずっと安く済みました。
しかし何より大事なことは、ニューヨーク市のような大きな都市が、自然の価値を認め、それに対価をはらうと決めたこと、そして市民もそれに同意したという事実が世界に示されたことでした。

母なる自然の仕事にはきりがない

デイリー教授は研究のかたわら、ジャーナリストのキャサリン・エリソンさんとともに、自然保護のため活動している世界中の人々、中でも自然の価値というものに着目している人々を取材して歩きました。取材をまとめ、2001年に出版した「生態系サービスというちょうせん」という本の中で、デイリー教授はこのニューヨーク市の水問題に関わった人たちのふんとうぶりもしょうかいしています。
その本のぼうとうでデイリー教授は、「女の仕事にはきりがない」ということわざにれています。長い間、主婦として女性が主に担ってきた家事や育児…これは必要不可欠で、重労働かつ年中無休であるにも関わらず、お金がはらわれることはなく、したがって正当な評価をされることもありませんでした。
デイリー教授は「自然のおんけい」もこれによく似ていると思いました。例えば森は食料や水をもたらし、災害を防ぎ、心までいやしてくれる……母なる自然は絶え間なくばくだいな恩恵を人間にもたらしてくれているにも関わらず、人間はお金も払わずにじんぞうにそれを使い続けてきたので、自然の価値がどれくらいのものか理解できていなかったのです。

最近、主婦の担ってきた仕事の価値がようやく認められ、尊重されつつあります。「もし主婦が無給でやってきた仕事にお金をはらうならこんなにもかかる」そんな話も、よく聞くようになりました。教授は、自然が私たちにあたえてくれているおんけいも、同じように認められるべきだと考えているのです。

このころから、ようやく世界でも、生態系の価値を考える動きが盛んになってきました。2001年から2005年にかけて行われた国連による「ミレニアム生態系評価」では、生態系の変化が人間にいかにえいきょうをあたえているのかが、世界の科学者たちによって「しんだん」されました。デイリー教授もここで重要な役割を果たしました。
結果として、生態系はれっしていること、それによって生態系からの恩恵もまた減少していること、世界中で対策を打たなければならないことが確認されました。この考え方を受けて、2007年から2010年には元ドイツ銀行のとりしまり役であったかんきょう経済学者パバン・シュクデフさんの率いる生態系と生物多様性の経済学(TEEB)プロジェクトがじっされました。今も世界的な取り組みが続いています。

野生地こそを守るべきではないのか?

手つかずの野生地よりも人間のせいかつけんにある自然「カントリーサイド」を守るためにほんそうし、自然の経済的な価値を説く…そんなデイリー教授の考えを批判する人たちもいます。
確かに野生地はもうわずかしかなく、保護は急がねばなりません。また、生態系は本来、私たち人間のためだけにあるわけではありません。人間は生態系のおんけいがなければ生きていけませんが、生態系は人間などいなかった太古の昔からその営みをり返し続けています。それはデイリー教授もよくわかっています。
それでも、と教授は思うのです。地球上のほとんどの自然は、もはや自然保護区域の中にはありません。世界的に人口が増加し続ける中、国によってはその保護区域すら減らしているようなじょうきょうなのです。保護区域だけに目を向けていれば、世界中のほとんどの自然はかえりみられなくなってしまうでしょう。 だからこそ、教授は人間の身近にある自然……たくさんの人間が土地や水の恩恵を必要としているところにある自然を守りたいと考えています。そして、自然がなぜ、どのような価値があるのかを(例えばお金などで)分かりやすく説明することが、自然保護のための近道だと考えています。

すでに生態系のれっが進んでいることを教授はひどく心配していますが、人々が生態系の価値に気づき始めたことに希望も持っています。これをさらに大きなうねりとするために、教授は次のステップに進むことにしました。それを最後の章でごしょうかいしましょう。

4. 自然の価値は「ここ」にある