1. 自然を愛する銀行家

豊かな自然とともに育つ

パバン・シュクデフさんは1960年、インドのニューデリーで生まれ、そこで育ちました。今でこそ世界的な大都市のニューデリーですが、そのころはまだ小さな街で、豊かな自然にあふれていました。おばあさんの家では、昼間は庭の木の周りにオオコウモリが集まり、夜にはジャッカルのとおえが聞こえたそうです。

また夏休みには家族といっしょにシムラ―やマスーリーといったインドのしょ地に出かけ、美しい自然の中で過ごしました。手つかずの自然の中で過ごした経験が、少年パバンの自然を愛する気持ちを育んでくれたといいます。

避暑地にて(1966)

避暑地にて(1966)

子どものときお父さんとお母さんが教えてくれたことも、今のシュクデフさんの中で息づいています。お母さんの教え「常にベストをくしなさい」はシュクデフさんの大きな目標となり、警察官のお父さんの教え「努力することは、それ自体が価値のあることだ」は今もシュクデフさんの人生てつがくとなっています。

家族と 前列左:シュクデフさん(1974)

家族と 前列左:シュクデフさん(1974)

物理学から経済学へ

ゆうしゅうだったパバンはニューデリーの高校ではクラスで一番の成績だったそうです。その後、お父さんの転勤でスイスに移り(シュクデフさんが今暮らしているのもスイスです)そのあとイギリスに留学し、多くのことを学びました。

イギリスに留学したころ(1977)

イギリスに留学したころ(1977)

1981年、21さいになったシュクデフさんは、科学者になるため、イギリスの名門・オックスフォード大学で物理学を学び始めます。
しかし、なやみが一つありました。シュクデフさんは物理学を学ぶためにしょうがく金をもらっていたのですが、年にたった1〜2万円程度。教育費としては全然足りないのです。自分のしたいことをするためのお金が無いことに失望し、多くのお金を得る重要さを痛感したシュクデフさんは、物理学の勉強をあきらめて、会計士になるために経済学を勉強しはじめました。

物理学の考え方に慣れていたシュクデフさんにとって、経済学の考え方は時として理解しがたいものでした。特に不思議だったのが、経済学は、その理論で重要な、人々が合理的であるという考え方のために、実際に起こっていることを無視する場合があるということです。物理学は、例えば実験を行って理論といっしなければその理論を捨てますが、経済学では実験を捨ててしまうのです。

シュクデフさんは、このような経済学の考え方は現実にそぐわなくて変だと思ったのですが、いい仕事に就くための勉強がいそがしく、その時はやがてそれを忘れてしまいました。

銀行家としてのかつやく

そのころ、インドの教養ある若者の多くは、よりよい仕事と収入を求めて医者や弁護士、あるいは銀行家を目指していました。そんなインドの若者の一人として、シュクデフさんは銀行家の道を選びました。

1983年、23さいで銀行の世界に足をみ入れると、10年にわたってさまざまな銀行業務を経験しました。その経験を買われて1994年にはドイツ銀行のインド支部に新規事業開発のためのリーダーとして招かれ、着実に出世し、ついにはアジア地域全体をとうかつするとりしまりやくにまでなりました。

ドイツ銀行の取締役時代

ドイツ銀行の取締役時代

長年、銀行家として働いてきたことで、経済のしくみや問題点をよくわかっていることは、シュクデフさんのその後の活動にもとても役立っています。それだけでなく、(ご本人は必ずしもいいこととは思っていないのですが)一見、とっぴょうもないような新しい考えを持ちこむときに、銀行の取締役という立派なかたがきのおかげで話を聞いてもらえた……ということも結構あったのだそうです。

このころ、二人のむすめさんが生まれました。長女のマヒマさんは自然が大好き。たくさんの自然にれさせようといろいろな場所に連れて行ってあげるうちに、シュクデフさんの中に子どものころの自然を愛する気持ちがよみがえってきました。

次女のアシマさんはリサイクルが大好き。シュクデフさんがいらなくなった段ボールで人形の家を作ってあげたので、娘さんたちは長いことそれで遊んでいたそうです。

二人の娘さんたちによって自然との触れ合いやリサイクルが生活にけ込んでいたことが、かんきょう経済学の道に進んでからも、わくわくするようなげきやひらめきをあたえてくれたといいます。

写真

二人の娘さんと 左 : マヒマさん 右 : アシマさん(2015)

2. 自然の価値を知ってほしい