1. ブータンの第4代国王陛下

ジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代ブータン王国国王陛下は、1955年11月11日、故ジグミ・ドルジ・ワンチュク第3代国王陛下とアシ・ケサン・チョデン陛下の長男としてブータンの首都ティンプーでお生まれになりました。仏教教育と現代的な教育の両方を受けて育ち、インドとイギリスに留学もされました。

提供:ブータン政府観光局

提供:ブータン政府観光局

1972年、皇太子であった第4代国王陛下は父君である第3代国王陛下のきゅうせいにより、王位をけいしょうしました。この時、陛下はまだ16さい、当時世界の最年少の君主でした。

まず第4代国王陛下が取り組まれたのは、国の近代化と発展でした。当時、ブータンの多くの地域は水道や電気などの基本的なインフラを欠いていました。病院や学校はほとんどなく、国の多くの地域はラバか徒歩でしか移動することができず、電気通信サービスも行き届いていませんでした。

第4代国王陛下は、国民の生活水準の向上のため、国内の農業などの産業、水道や電気などのインフラを近代化し発展させることに多大な努力をはらわれました。ただし、近代化は急激にではなくしんちょうにバランスを取って進められました。それは、ブータンの伝統文化と自然環境を保護したいという陛下のお考えによるものでした。

第4代国王陛下は幼いころから「国王は常に国民の幸福を第一に考えなければならない。」と父君に教えられていました。そのため、陛下は人々へのほうが最優先こうであるという固い信念を持つようになったのです。陛下は定期的にブータンの全国20地区を訪れ、地元の人々とその代表者と会い、開発の優先順位とニーズについて話し合い、国の持続可能な開発を推し進めてきました。

第4代国王陛下はまた、ブータンの政治についても先見の明を持っておられました。陛下の重要な功績のひとつに、国王の権限の縮小があります。陛下は、国王という一人の個人にぞんする統治は君主制の欠点であり、変えるべきだと考えていました。そのため、陛下は早くから国王の権限を縮小するための改革を開始し、政府に多くの権利を委任し、大臣を任命する権利をほうし、国王の定年も設定しました。国王自身が国王の力を減らすために率先して行動したのです。今日、ブータン王国は議会制民主主義の国となり、国王は政府の長ではなくなりましたが、国家元首として今でも重要な責任を保持しています。

このようにさまざまな第4代国王陛下の功績の中でも特に世界中から注目されたのが、次にしょうかいする国民総幸福量(GNH)の概念の推進です。

2. 国民総幸福量(GNH)

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ジグミ・シンゲ・ワンチュク第4代ブータン王国国王陛下

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